【画像10枚】伊達公子の若い頃の伝説エピソード10選!一躍有名になったのは溜め息事件?
伊達公子の若い頃画像とエピソード3選

 

伊達公子の若い頃の画像10選を紹介!

 

日本の元女子プロテニス選手で、世界ランキング4位まで上り詰めたレジェンドの伊達公子さん。

周りに敵なし!と評判で伊達公子さんは日本の女子プロテス界の中で最強だったのではないでしょうか?

そんな伊達公子さんの若い頃の画像10選を紹介します。

 

若い頃画像①
若い頃画像①
若い頃画像②
若い頃画像②
若い頃画像③
若い頃画像③
若い頃画像④
若い頃画像④
若い頃画像⑤
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若い頃画像⑥
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若い頃画像⑦
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若い頃画像⑧
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若い頃画像⑨
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若い頃画像⑩
若い頃画像⑩

 

女性

この頃の伊達さんは肌の入りが小麦色に焼けていて、テレビCMなどテニスだけではなく幅広く活躍されていましたね。

 

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伊達公子の若い頃の伝説エピソード10選を紹介!

 

伊達公子さんはテニスでいくつもの成績を残されている中、様々なエピソードがあったそうです。

その中でも特に有名なエピソード10選を紹介したいと思います。

 

伊達公子の若い頃のエピソード3選!
伊達公子の若い頃のエピソード3選!

 

 

エピソード①  ライジングショット

伊達公子さんは、ライジングショットという高度な技術を持っていました。

 


これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返すショットで、相手のリズムを崩したり、ウィナーを取ったりすることができます。

 

やまやま

ライジングショット?テニスの事が分からない方の為にこちらの動画で解説してるよ!

 

 


伊達公子さんはこのショットを駆使して、世界のトップ選手たちと互角に戦いました。

 

エピソード② 性格

伊達公子さんは、非常に負けず嫌いな性格でした。

試合中に自分がミスをしたときに、観客がため息をついたり、応援をしなかったりすると、怒ってクレームを言ったり、観客席に向かってボールを投げたりすることがありました。

 

 

yやまやま

これはスポーツマンとしては駄目ですね

しかし、それは自分に厳しく、常に勝利を求める姿勢の表れでもありました。

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エピソード③ 引退

伊達公子さんが1996年にランキング8位のまま引退したエピソードについて、海外を転々とするツアー生活やトップレベルでプレイし続けるプレッシャーに耐えきれなくなったと言われています。

 


伊達さん自身も、「テニスが嫌い」とまで感じていたと語っています。

 

当時のルールでは、ランキング上位の選手に勝つとボーナスポイントが支給されるというものでした。

伊達公子さんは”トップ10キラー”と呼ばれるほど、上位の選手に強かったのですが、1997年にこのルールが廃止されました。

これらの要因が彼女の引退を決定づけたと考えられます。

 

エピソード④ 現役復帰

伊達公子さんは、1996年に一度引退した後、2008年に驚きの現役復帰を果たしました。

 

当時37歳で、ツアーの中では最年長の選手でしたが、その後も40歳を超えてもトップレベルのプレーを見せました。

2010年には、40歳以上で初めて世界ランキングトップ10の選手に勝利し、テニス界に衝撃を与えました。

 

まとめると伊達公子さんの若い頃(現役時代の)エピソードとして、ライジングショットという高度な技術を持っていて、試合中は熱くなることもあって、1度は引退したが、2008年に現役復帰されて2010年に世界ランキングトップ10内の選手に勝利するという3つのエピソードがある事が分かりました。

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エピソード⑤ テニスを始めたキッカケ

伊達公子さんがテニスを始めたのは6歳からでした。

両親が健康の為にテニスしていたのを見て触発されたのがテニスを始めるキッカケに!

家族が引っ越した先にテニスクラブがあったのが多きな要因でした。

これらの環境が伊達公子のテニスの道を歩んでいく始まりとなりました。

 

エピソード⑥ 高校時代の輝かしい成績

伊達公子さんが高校生の時にインターハイでシングルス、ダブルス、団体と全てで優勝し高校3冠を獲得。

これらの経緯について伊達公子さんは、兵庫県尼崎市にあるテニスの名門校、園田学園高等学校に進学しました。

 

高校1年生の時には、インターハイの県予選で敗退していました。

しかし、2年生の時に急成長を遂げ、「もう高校生には負けないかな」と感じたそうです。

2年生に上がる直前から、恩師・小浦猛志がコーチを務めるクラブに通い始めたのが1つのきっかけになったようです。

 

そして、3年生になると、インターハイでシングルス、ダブルス、団体の3冠を制覇しました。

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エピソード⑦ 海外ツアー初優勝

1994年のNSWオープン(シドニー)で海外ツアー初優勝について、伊達公子さんは、1994年1月にオーストラリアの「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外の大会で初優勝しました。

この優勝により、伊達公子さんは日本女子選手として史上初の世界ランキングトップ10入りを果たしました。

 

その直後の全豪オープンでは、初の4大大会ベスト4進出を果たしましたが、準決勝でシュテフィ・グラフに敗れました。

 

この一連の活躍により、伊達公子さんは世界的なテニスプレーヤーとしての地位を確立しました。

 

エピソード⑧ 全仏オープンベスト4進出!

1995年には自己最高位となる世界ランキング4位を記録についてこの年、彼女は全仏オープンで日本人初のベスト4進出を達成しました。

 

また、彼女はこの年の2月に東京の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」で初優勝しました。

これらの活躍により、伊達公子さんは世界のトッププレイヤーと互角に渡り合い、女子テニス界にその名を轟かせました。

伊達公子さんが世界4位をキープしていた1995年12月31日まで、上位3人の順位に変動はありませんでした。

ただし、当時のランキングにはもう一人、1位のポジションに名前が記されていました。

それは、モニカ・セレシュ(アメリカ)で、彼女は1993年4月に試合中に背中をファンに刺され、長らくコートから遠ざかることになりました。

 

伊達公子とモニカ・セレシュ
伊達公子とモニカ・セレシュ

 

しかし、「暫定世界1位」という措置が採られたため、1995年8月に復帰した後もしばらくはグラフと並んで1位の座に君臨していました。

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エピソード⑨ 最年長記録更新!

伊達公子さんが2009年の韓国オープンで優勝したエピソードについて、38歳11カ月での優勝という、ビリー・ジーン・キングの記録に次ぐ歴代2位の年長優勝記録を達成しました。

 

この大会では、準々決勝で世界21位のダニエラ・ハンチュコバ、準決勝で前年優勝のマリア・キリレンコを破りました。

 

伊達公子はダニエラ・ハンチュコバとマリア・キリレンコを撃破!
伊達公子はダニエラ・ハンチュコバとマリア・キリレンコを撃破!

 

また、この優勝により、彼女の世界ランキングは100位前後まで上昇し、翌年の全豪オープンの本戦出場も見えてきました。

伊達公子さんのこの活躍は、努力と才能、そして年齢を超えたパフォーマンスを示すものでした。

 

エピソード⑩ 2度目の引退を発表

伊達公子さんが2017年に2度目の引退を発表!理由は怪我などの故障に悩まされる時期も多く、2017年に現役を引退しました。

 

その引退試合は、ジャパン女子オープンの2日目で、世界ランク67位のアレクサンドラ・クルニッチに0-6, 0-6でストレート負けしました。

 

アレクサンドラ・クルニッチにストレート負けを喫した伊達公子
アレクサンドラ・クルニッチにストレート負けを喫した伊達公子

 

引退セレモニーでは、「プレーヤーとして、最後まで勝負にこだわってきたので『伊達公子は怖い』という印象が強かったと思う。勝負に徹してのことだと、お許しください」と笑顔で“謝罪”しました。

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伊達公子が一躍有名になったのは溜め息事件?

 

伊達公子さんのエピソードについて紹介してきましたが、現役時代に一躍有名になった「溜め息事件」をご存知でしょうか?

これは2013年の東レ・パンパシフィック・オープンで起こりました。

伊達さんのショットがミスとなるたびに、会場の女性たちが「はぁぁ」とため息をついたことに対して、伊達さんが「シャラップ!」「ため息ばっかり!」と絶叫した事件です。

 

やままや

会場内が溜め息一色に伊達さんが「シャラップ!」と!選手も観客も熱くなるのは分かります!伊達さんは集中したい!気持ちが強く出た言葉だと思いますよ。

 

 

この事件は伊達さんの強烈な個性を象徴するもので、その後、中高年女性ファン層が伊達さんの国内試合に足を運ぶ数が明らかに減ったと言われています。

しかし、伊達さんはその後もファンにこびを売ることは一切なく、自分の道をまい進しました。

 

やまやま

伊達さんカッコいい~!

松岡修造との珍事件

 

松岡修造さんの熱血応援が行き過ぎて伊達さんを怒らせたという報告があります。

 

伊達公子が松岡修造にキレる?
伊達公子が松岡修造にキレる?

 

これらの事件は伊達さんの強烈な個性と競技への情熱を示しています。

彼女は自分の道をまい進み、一切の妥協もなく完全燃焼しました。

 

これらの事件にもかかわらず、彼女は日本のテニス界に多大な影響を与え、多くの後輩選手に「勝負とは何か」を身をもって教え込んだことは間違いありません。

 

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さいごに

 

伊達公子さんの若い頃の画像10選、エピソード3選、そして一躍有名にした事件について紹介してきました。

プロのアスリートは大事な場面で集中力が切れると試合の流れが変わったり、勝敗に大きく影響するので観客に起こっていました。

ただそれは決して悪気はなく、気持ちが熱くなっていただけに過ぎません。

伊達公子さんはプロのアスリートです。

 

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