【画像10枚】瓜田純士の左手小指がない本当の理由を経歴から調査した内容が衝撃的だと話題!
瓜田純士の左手小指がないのは何故?経歴から調査!

 

瓜田純士の左手小指がない画像10選

 

今回は、格闘技イベント「BREAING DOWN」に出演し人気を博している瓜田純士さんについて取り上げます。

瓜田さんといえば、顔まで入った入れ墨が特徴で、イカつい雰囲気を纏っています。「アウトローのカリスマ」とも呼ばれ、その唯一無二の雰囲気で注目を集めています。

そんな瓜田さんはなんと左手の小指がないというのです。

 


本当にそんなことがあるのかと疑問に思う方もいるのではないでしょうか?なぜ左手小指がないの?と気になる方もいると思います。

ではまずは本当に左手小指がないのかを画像で確認してみましょう。

画像を10選してみましたのでご覧ください。

 

瓜田純士の指なし画像①
瓜田純士の指なし画像①
瓜田純士の指なし画像②
瓜田純士の指なし画像②
瓜田純士の指なし画像③
瓜田純士の指なし画像③
瓜田純士の指なし画像④
瓜田純士の指なし画像④
瓜田純士の指なし画像⑤
瓜田純士の指なし画像⑤
瓜田純士の指なし画像⑥
瓜田純士の指なし画像⑥
瓜田純士の指なし画像⑦
瓜田純士の指なし画像⑦
瓜田純士の指なし画像⑧
瓜田純士の指なし画像⑧
瓜田純士の指なし画像⑨
瓜田純士の指なし画像⑨
瓜田純士の指なし画像⑩
瓜田純士の指なし画像⑩

 

どの画像を見ても、左手の小指は第一関節くらいまでしかないように見えますね!噂は本当だったようです!

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瓜田純士の壮絶な経歴を紹介!

 

左手の小指がないという噂は本当だったことが判明した瓜田さん。

そんな瓜田さんの経歴が壮絶だと言われていることをご存知でしょうか?

 

小さい頃から悪ガキだったという瓜田さんですが、そのような人生を辿ってきたのか気になりますよね。

では、瓜田さんの詳しい経歴をまとめてみました。

 

瓜田純士の経歴について
瓜田純士の経歴について

 

壮絶な経歴① 父も元ヤクザ!根っからの不良少年!

 

瓜田さんは東京都新宿区歌舞伎町に生まれました。

実家は花屋を営んでおり、母も花屋を手伝っていたそうです。

そんな瓜田さんの父は、暴走族「ブラック・エンペラー」の2代目総長である瓜田吉寿さんです。

 

瓜田純士の父親
瓜田純士の父親

 

父・吉寿さんは暴走族に所属した後、長年暴力団で活動していた元ヤクザ。

瓜田さんが幼いころに両親は離婚したようですが、瓜田さんは父親譲りの根っからの不良少年だったようです。

 


ちなみに母も、若いころは特攻服を着て練り歩いていたのだとか。

瓜田さんのアウトローぶりは親譲りだったようですね。

幼少期から有名な不良少年だった瓜田さんは、中学校の頃に「関東連合」のメンバーとなる筋金入りのヤンキーたちと仲良くなります。

 

根っからの不良少年だった瓜田さんが有名な不良たちと親交を深めるようになり、更にワルへの道にハマっていくことになったそうです。

地域柄、不良少年たちも多かったのかもしれませんね。

小中学校時代から札付きの不良として暴れまわっていたようです。

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壮絶な経歴② 17歳暴力団員へ。その後18歳で若頭補佐に上り詰める!

 

両親もワル、そして自身も幼少期から筋金入りの不良少年だったことが判明した瓜田さん。

そんな瓜田さんは中学校を卒業すると、土建会社などで働くようになります。

しかし半年も経たずに辞めてしまいます。

そして16歳の頃、関東連合傘下の暴走族「梅里スペクター」に組み入れられそうになり、それを拒み、17歳で暴力団「桜成会長谷川組」に入ることとなったそうです。

 


暴力団員となった瓜田さんは、極道界でどんどん頭角を表すようになり、18歳の若さで長谷川組の若頭補佐にまで上り詰めたそうです。

 

やまやま

桜成会長谷川組は新宿にあるんですが、坪単価2,000万円というとんでもない金額なんです。

 

 

 

同年代の中では一番早いスピード出世だったのだとか。喧嘩も強く、シメまくっていたそうです。

 

壮絶な経歴③ 覚せい剤使用で逮捕!そして作家、格闘家へ

 

暴力団員としてメキメキと頭角を現し、18歳で若頭補佐にまで上り詰めた瓜田さん。

そんな瓜田さんでしたが、2003年4月、24歳のときに覚せい剤使用の罪で逮捕されています。

 


瓜田さんは元々違法薬物には頼らないという信念を持っており、ナチュラルパワー信仰者だったそうです。

そんな違法ドラッグ否定派だった瓜田さんですが、組の上層部に強烈なヤキを入れられ、相当な痛みを負うようになります。

痛みでどうにもならないとき、仲間が痛み止めとして使用していたのが覚せい剤だったそうで、このとき初めて覚せい剤を使用したそうです。

 

そしてそのタイミングで逮捕され、懲役3年4ヵ月の実刑判決を受けることとなります。

そんな経験をした瓜田さんは、服役中に暴力団組織を脱退、堅気となり出所しその経験を元に作家・格闘家としてデビューしています。

一般人には経験できない人生を歩んでいますよね。

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刑務所にいた時のエピソード

 

幼少期から有名な不良で、若くして暴力団員となった瓜田さんですが、覚せい剤使用の罪で24歳のとき逮捕されていました。

実刑判決となり、刑務所で3年4ヵ月の間服役していたそうです。

 

瓜田純士の刑務所でのエピソードは?
瓜田純士の刑務所でのエピソードは?

 

そんな刑務所の中で、瓜田さんは刑務所内の文芸コンクールに自身の小説を応募します。

mother」という小説を書いた瓜田さん。

 


5500人もの服役中の人たちがその文芸コンクールに応募していたそうですが、そんな中で瓜田さんの小説が大賞を受賞したのだとか。

文章を書く才能があったのでしょうね?そんな経験をしたため、瓜田さんは出所後に小説家となりました。

2008年に小説家デビューした瓜田さんは、デビュー作「ドブネズミのバラード」を出版し、その後映画化もされています。

この後にもいくつもの本を出版してきており、そのベストセラーになった本もあるのだとか。

刑務所での文芸コンクール大賞受賞という経験がその後の人生に大きな影響を与えたようですね。

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瓜田純士が左手小指をなくしたのはいつで理由は?

 

暴力団員、覚せい剤使用、逮捕、そして小説家デビューと想像を絶する経験を数多くしてきた瓜田さん。

そんな瓜田さんの左手の小指はなんと第一関節までしかないようです。

画像で確認してみても、本当に小指がありませんでしたよね。

ではなぜ小指がないの?と疑問に思いますよね。

生まれつき?それとも事故?などと考えてしまいますが、なんと左手の小指は「自分で食いちぎった」という噂があるのだとか。

 

そんな噂は本当なのでしょうか?
瓜田さんは自身の小指について、AMEBA「BAZOOKA!!」という番組内でこのように語っていました。

「当時の組長と電話していたら大喧嘩になっちゃって。その落とし前ってことで、今から指の一本でも持ってってやるからよって啖呵を切っちゃったんです。その後、指を切らないとと思って包丁を探したけど、店にはペーパーナイフしかなくて。でどうしようと思って、店を出て自分で小指を咥えて千切ったんですけど、ぶらんってなっちゃったんですよ。」

 

 

 

やまやま

瓜田さんが指を無くしたのは、どうやらヤクザ時代だったんですね?

 

そこで、瓜田さんはその状態のままコンビニへ行ったそう。

コンビニで先端が丸くなった果物ナイフが売っていたので、それを購入して指を綺麗に飛ばそうと思って。でも血が凄かったんです。コンビニの人にも迷惑がかかるから、レジに置いてあるテープを拝借していいですかって言って。一生懸命テープでぐるぐる巻きにして止血したんです。で、ナイフで指を落としたんです」と赤裸々告白。

このとき、番組スタッフに小指がないんですか?と聞かれた瓜田さんは「そうっすね。恥ずかしい話ですけど、第二関節からなくなっているんです」と話していました。

生まれつきでも事故でもなく、自分自身で、指を食いちぎって切り落としたというから衝撃ですね。

かなり痛かったことと思いますが、その痛みは想像もできません。

さすが、根っからのアウトローですね。

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さいごに

 

いかがでしたでしょうか?今回は作家や格闘家として活躍している瓜田さんについて詳しく調べてみました。

少年時代から悪ガキで暴れまわり、10代で暴力団員となっていた瓜田さん。

その後若頭補佐まで上り詰めるも、覚せい剤使用で逮捕され、その後堅気となって作家デビューしていたことが判明しました。

壮絶な人生でしたね。
現在もそんな多くの経験を元に作家としての活動を続けており、格闘家としても大活躍しています。

これからどんな活躍をしてくれるのか、目離せません。注目していきましょう。

 

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